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第四章 有生存之志地打牌
不断进化的机器
【资料图】
我还是中学生的时候喜欢看F1的转播。我憧憬着五颜六色的车身,经常把这些车身制作成塑料模型,而我最喜欢的车手是艾尔顿·塞纳。无论什么比赛,孩子们都向往强大的选手。马拉多纳、泰森、塞纳。这三个人对少年时代的我来说是英雄。
F1经常在半夜录制播放。对于最晚十一点就上床睡觉的我来说,这根本不是什么可以看的东西。这样的话,就需要看录像了,但就算第二天放学回来,也已经来不及了,因为要堵住多达40人的同班同学的嘴不让他们讨论是不可能的(在女生的话题中没有)。
虽然如此喜欢F1,但不知从何时起,产生了这样的疑问,“人类有必要开车吗?”F1赛车的性能有多高,通过实况转播、解说阵容已经听得刺耳,马力也是我家的日产蓝鸟车(可能是日产阳光车)望尘莫及的厉害。
如果是这样的话,把司机也换成机器人,看哪个队伍最优秀不就好了吗?这是中学生肤浅的想法。现在回想起来,自己也处在同样的状况下。
全自动桌子是在20世纪70年代后期开发出来的,进入80年代,雀庄刚开始的时候,店里每10张桌子中就有1、2张是全自动桌子,增加了一定比例的场代,而且,不到两年时间,所有的桌子都变成了全自动的。
据说当时一台全自动桌的价格不低于70万日元,可见那是麻将庄盛极一时的时代。接着,在1980年代前半期,关东的麻将馆引进了赤宝牌。
在我战战兢兢地往回看雀庄的时候,那些似乎理所当然存在的红色牌自然也有了历史。
然后就是到现在了。如果是在20年前,all last是每个人(自己数)持有的分数自己申报的,但现在也没有这个必要了。点棒是数码显示的,和目标的得分差也是用按钮一次按下。如果机器人用这个打,那它打的就是“全自动”的了。我想起了20多年前的自己,看到这样的东西又有什么乐趣呢?
应该瞄准的目标
查看右页图 3 中的牌姿。
我想是在引入赤宝牌之后,我才开始将立直和自摸视为一个组合来一起考虑。赤宝牌在很多地方都有额外祝仪奖励,要是被自摸可以使牌的价值翻三倍,这也是理所当然的。
那么这会改变什么?是一种姿势。图3的目标是789的三色,但是,也隐藏着因为加入了红色牌,该目标立即崩溃的可能性。可以说就是摸到这张8m,扣着它打白板的话,听牌的机会就会大大增加。
不,不仅如此,如果抽到5p或7p,还有一个好处是可以期待改成好的形状,如果5p是红色的,那就更理想了。可以说,现代麻将的理论就是在立直状态下的自摸胡牌为目标。
换句话说,看不见的赤宝牌才是最主要的,789的三色则是保险。那么接下来会发生什么呢?
例如,也会产生不惜用这手牌进行立直的想法达到立直自摸的500·1000。连这个也不能错过,这就是现代麻将。
我也是在那片战场下长大的,但我的思维方式与 10 年前相比发生了很大变化。
“8m?快把那东西切掉!”这是我现在的思考和志向,2000分不重要。即使是荣胡也没有关系,在5200以上的话气势也会增加。如果希望抽中赤宝牌,也有种想法是,摸到一张不能用的赤5m更容易钓出7m。在任何时候都试图只根据立直自摸来取胜是不合理的。
好吧,在实战中,我在切了8m的下回合摸到了6s。由于下家已经打过一枚,所以这里也是摸切。
然后再下一巡摸到的是赤5s。谁也别吃啊(一旦被鸣牌的话,难得的迷彩就没了),这里也是摸切。终于我在第10巡时摸上了4s。
弃牌如下。
虽然先前打了8m也进入同样的听牌,但是这对对方的感觉是不一样的。在这种情况下,7m还在一发巡内被打出了,于是乎我就这样进行了直击。
这就是我的目标,在胜负难分的激烈战斗中如此竞争我实在深表抱歉。
第4話 今を生きる志ある打牌
進化するマシーン
私がまだ中学生の頃、F1中継を見るのが好きだった。
色とりどりの車体に憧れを抱き、よくそのプラモデルも作ったものである。
ドライバーで好きだったのはアイルトン・セナ。
子供が憧れるのはどんな競技であれ、やはり強い選手だ。
マラドーナ、タイソン、セナ。この3人は少年時代の私にとってヒーローだった。
夜中に録画放送されることが多かったF1。遅くとも23時には寝床に就いていた私には到底見られる代物ではない。
となれば録画視聴となるわけだが、これも翌日学校から帰って見てもすでに遅い。
40人からいるクラスメイトの口をふさぐことなど不可能だからである(女子の話題にはなかったな)。
それくらい好きだったF1だったが、いつの頃からかこんな疑問を持つようになった。「人間が運転する必要があるのだろうか」
F1カーがいかに高性能であるかは、実況、解説陣によって耳が痛くなるほど聞かされている。馬力だって我が家のブルーバード(サニーだったかもしれん)じゃ足元にも及ばないほど凄いものだ。
だったらドライバーもロボットにして、どのチームが最も優れているかを競ったっていいのではというのが浅はかな中学生の思考だった。
振り返って今思う。
自分も全く同じ状況下にあるんだなと。
全自動卓が開発されたのは1970年代後半らしい。
80年代に入り麻雀荘も初めの頃は、例えばお店に10卓あればそのうち1、2卓が全自動卓で、場代が何割か増しのシステムをとっていたそうだ。
そして全ての卓が全自動にかわるまで2年はかからなかったという。
当時の金額で全自動卓は1台70万は下らなかったと言うから、麻雀荘も隆盛を極めた時代だったのだろう。
ついで関東のリーチ麻雀店に赤牌が導入されたのが1980年代前半とのこと。
私が恐る恐る雀荘を覗いた頃には当たり前のように存在していた赤牌にも当然歴史はあるというわけだ。
そして現在。
20年ほど前ならオーラスは(自分で数えて)各自持ち点を申告していたものだが、そんな必要もなくなった。点棒はデジタル表示されるし、ターゲットとの得点差だってボタンでワンプッシュだ。これでロボットが打てばまさに“全自動”。
20年以上前の私について今思う。そんなものを見て何が楽しいんだ。
目指すべき志
右ページの図3の牌姿をご覧頂こう。
私が思うにリーチとツモをワンセットで考えるようになったのは赤牌が導入されてからではないだろうか。
赤牌にはプレミアがつくところが多く、ツモれば3倍となるのだからそれも当然のことである。
ではそれによって何が変わるか。
構えである。
図3からの狙いは誰が見たって789の三色だ。
ところが赤牌が入っているせいで即座にその狙いが崩れる可能性も秘めている。
それがこのツモ 8m と言ってもいいだろう。これを抱え打 白 とすると当然テンパイチャンスは広がる。
いや、それだけではない。
5p や 7p を引けば好形への変化が見込めるという利点もある。
5p が赤なら更に理想的。
そしてリーチでのツモアガリを目指すのが現代麻雀のセオリーとも言える。
言わばまだ見えぬ赤引きが本手で、789の三色が保険となってしまっているのだ。
するとどうなるか。
例えばこんな手でのリーチだって厭わないという思考にもつながってくる。リーチツモでの500·1000。これすら逃してはならないのが現代麻雀ということになるんだろう。
私もすっかりその畑で育ったクチだが、10年前と今とでは大分考え方が変わってきている。
「8m? そんなものツモ切っちまえ!」
これが今の思考であり志向でもある。2000点なんかどうでもいい。
出アガリでもいいから5200以上に仕上げた方が勢いもつくというものだ。
赤引きを願うなら、使えない 赤5m を引いた方が 7m を釣り出しやすいという思いもある。いつでもリーチツモだけをベースに勝とうとすること自体無理があるのだ。
さて、実戦では 8m を切った次巡 6s を引いた。
下家が1枚切っていたこともあり、これもツモ切り。
そして次巡が 赤5m だ。
誰も食うなよ(鳴かれると折角の迷彩が河からなくなるので)とこれもツモ切り。
ようやくテンパイしたのが10巡目のツモ 4s。
捨て牌は以下。
8m を引っ張っても同じテンパイが入ったが、やはり相手に対する印象は違う。
このときはたまたま一発で 7m が出た。
そしてそのまま突き抜けた。
私が目指すのはそこである。
接戦での争いなどまっぴらゴメンである。
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